Mizolog

仕事や転職、エンタメについてが中心です。徒然なるままに書いてます。

クライアントに逆らう力

最近は研修でアウトバウンドなるものをやってます。

 

要は商材を電話で顧客に奨める、飛び込みみたいな営業です。

 

この研修をやってて思うのは、短時間に声だけで信頼を獲得する難しさです。

 

例えば営業って顧客の課題を深掘りして、持ってる商材の中から、課題を解決してあげるための商材を売ることだと思ってます。

 

でも地方や中小のお店にとって、デジタル広告って片手間だからがっつり運用する時間は無い。運用する人がいても、久々に出向先のメディアが電話かけてきて運用についてアドバイスとかしてきたら、それはそれでムカつくだろうし。

 

課題を一緒に深掘りして発見していく過程で、1つは愛嬌や献身性みたいな要素、もう1つはクライアントに逆らってでも、課題を分かりやすく説明して説き伏せる、圧倒的な貢献力みたいなものが必要なのかな。

 

自分自身が前者には向いてないとわかるので、とりあえずしばらくは、いい意味でクライアントに逆らう力を身に着けたいと思います。

データドリブンの時代こそ、データ以外の付加価値を付けよう

本日のニュースはこちら。

 

markezine.jp

 

要約すると、楽天電通楽天データマーケティング株式会社」という新会社を立ち上げた。

 

そこで楽天の持つ会員データと楽天市場というメディア、電通の媒体力やマーケティングノウハウをかけ合わせたソリューションを提供するというものです・

 

ITメディア企業と代理店の協業は今まででも十分あったけど、やはりスピードという面で新しく会社を作る流れは続くのではないでしょうか。

 

メディア側の広告営業として、こういうニュースから思うことは 、

 

メディアがただのデータ屋で終わらないためにも、 電通からマーケティングやクリエイティブノウハウを吸収する、あるいはデータとそこからのインサイトをセットで提案する必要があるのではないでしょうか。

 

つまりこのままでは、ただ代理店にデータだけ吸い上げられる便利屋にしかならないのではないかなと危惧しています。

 

要はメディアは代理店からノウハウという属人的なスキルを輸入できる

一方で、メディアはデータという非属人的なモノしか提供できない。

 

だから会社と会社として見た時はWin-Winだとしても、メディア側の個人として提供できるものがないと、人材としては価値が出せなくなってしまうのかも。

 

データドリブンというのはいいけれど、単なるデータの提供以外で自分の付加価値を付けていくのが、今後のメディア側の人間の課題になるのではないでしょうか。

 

ではでは

『凡人が最強営業マンに変わる魔法のセールストーク』佐藤昌弘:ユーザーが欲しいと思うものを売ってはいけない

 

凡人が最強営業マンに変わる魔法のセールストーク

凡人が最強営業マンに変わる魔法のセールストーク

 

来週から電話でのアウトバウンド研修があるということで読んでみました、営業本。

 

要約するとこんな感じです。

 

巷で営業本を出すような一部のスーパー営業マンは、相手の性格タイプに合わせて自分のスタンスを変えていることが多い。

 

このカメレオンのような性質は生まれ持ったものであり、一般人が真似しても上手く行かないことが多いのだとか。

 

そこで筆者は誰にでも真似でき、かつ結果の上がりやすい営業手法を紹介してくれます。

 

ポイントは2点。

  • アダルトな大人として対応すること
  • 顧客が口に出したものを売らないこと

 

アダルトな対応とは、マイルドで穏やかな大人の対応。

 

これにより相手がどんな性格であっても、同じ土俵での会話に持ち込めます。

 

実際相手に、大人というパブリックなスタンスで話されると、自分も同じ対応をしないと行けない気がしますよね。百貨店の店員ややコールセンターの人をイメージするとわかりやすいのでは。

 

この結果、自分と相手の性格のミスマッチによる営業ディスアドバンテージを消すことができる。

 

 

次に本題だが、顧客が欲しいというものは売ってはいけません。

 

なぜなら顧客は自分の欲求の一部しか言語化していないから。

 

ドリルを買いに来た人が欲しいのはドリルではなく穴である

 

マーケティングの世界で古くから使われている格言ですが、がこれはセールスでも同じ話。

 

相手の点の欲求から真の要望を捉え、提供できるソリューションから最も良いものを選ぶ

 

当たり前のようでいて、いざ顧客を前にすると流されてしまいそうです。

 

嫌いな営業だけど、来週以降はこの辺を意識してみたいなと思いました。

『次世代コミュニケーションプランニング』高広伯彦:コンテクストに商材を埋め込む

 

 

次世代コミュニケーションプランニング

次世代コミュニケーションプランニング

 

 

本日の書評は『次世代コミュニケーションプランニング』です。

 

電通博報堂でメディア開発に従事し、GoogleYouTubeなどのマーケティングなど、マス時代からデジタルメディアの過渡期にコミュニケーションに関する仕事をしてきた著者の知見がまとめられています。

 

メディアの広告営業としては、「代理店の1チャネルに甘んじたらダメだよなぁ」とか思ったり、「シャアされるにはコンテンツと同じくらい、拡散する仕組みの方も大事だよなぁ」と考えさせられました。

 

中でも特に印象的だった内容は、コンテクストプランニングという独特の視点です。

 

 

コンテクストプランニング

このコンテクストプランニングについての話が一番面白かったです。

 

これは要約すると商品やサービスのポイントを一方的に伝えるのではなく、社会や時代、消費者などが作り出す文脈に埋め込む手法です。

 

つまり従来型の「どう伝えるか」ではなく、「どんな文脈なら受け入れられるか」にフォーカスしたマーケティングと言えます。

 

具体的に著者は、以下の4つの文脈から商品・サービスが受け入れられる文脈を考えることをフレームワークとして定義していました。

 

① Consumer Context「消費者的には~」

② Public Context「社会・文化的には~」

③ Industry Context「業界・産業的には~」

④ Brand Context「ブランド的には~」

 

4つの文脈を組み合わせながら商品・サービスが必要とされるシナリオを書く。

本来はこうした上流の工程がきっちり決まってから、出向先のメディアが決まるべきでしょう。

 

やっぱり広告部門で働くなら、やっぱりもっと上流に行きたいと思うし、それか転局してメディア開発したいと思うのでした。

「Mr.Children DOME & STADIUM TOUR 2017 Thanksgiving 25」:ファンとアーティストには同じ時が流れている

tour.mrchildren.jp

 

遂にデビューしました、東京ドーム。

 

別に野球が好きなわけじゃありません。

 

見に行ったのは巨人ではなく、大人で子供。

 

ミスターチルドレン

 

デビュー25周年を祝うツアー「DOME & STADIUM TOUR 2017 Thanksgiving 25」でした。

 

 

ライブ当日からは少し遅くなってしまった。だけど忘れたくない。

 

そんな夜を書き留めて置こうと思い、少しだけキーボードを叩いてみました。

 

 

ファンとアーティストには同じ時が流れている

僕は京都に来た大学1年の頃から、毎年ミスチルのライブに行くことを目標にしていた。

 

2012年の20周年ライブの時は、名古屋まで友人と2人で遠征に出かけ、終電で必死に帰ってきた。

 

www.youtube.com

 

ライブ自体が久しぶりだったこともあるが、当時の僕はその幻想的で華麗で熱狂的な空間に圧倒された。凝縮された音と言葉と映像のエンターテインメントが真正面からぶつかってきた。

 

中学の頃はポケットの中のウオークマンに詰め込まれていたはずの歌と声。そして櫻井さんが、その瞬間確かに目の前に存在した。

 

客席からステージまでの150メートルも存在しないくらいに、Mr.Childrenを近くに感じた。

 

やっぱり小市民である僕らにとって、アーティストとはどこか遠い存在だ。ともすれば、ステージやテレビの上の虚構の存在とも感じられる時もあるかもしれない。

 

しかしこうやってライブに足を運ぶたびに、自分とミスチルにだって同じ時が流れていると確信できる。僕だって年をとり、ミスチルだって年を取っていくのだ。

 

両親や恋人、好きな芸能人やファンのアーティストとか。

 

何であれ、人生を共に並走していると思える誰かがいるからこそ、人は時の流れを感じることができる。だからこそ、想い出には“彩り”が加えられるのではないだろうか。

 

かつて大学の門出と同時にミスチル20週年を祝い、今こうして社会人の門出にまた25周年を祝えていることが素直に嬉しい。

 

またいつか彼らのライブに訪れる時、僕はこの社会人1年目をきっと思い出すだろう。

 

 

1999年、夏、沖縄 

今回のライブで最も印象的だったのはこの曲だ。

 

意外という人も多いかもしれない。innocent worldでもなく、終わりなき旅でもない。

『1999年、夏、沖縄』である。

 

www.youtube.com

 

最後の曲が終わり 音がなり止んだ時 あぁ僕はそこで何を思ったのだろう 
選んだ路とはいえ 時に険しくもあり 些細な事で僕らは泣き笑う

いろんな街を歩き いろんな人に出会う これからだってそれはそうなんだけど
そして今想うことは たった一つ想うことは
あぁ いつかまたこの街で歌いたい
あぁ きっとまたあの街でも歌いたい
あぁ そして君にこの歌を聞かせたい

 

実はこの曲、初めて見たポップザウルス2012でも披露されていた。

 

当時は「何でこんな地味な曲なんだ!? ミリオンヒットを聞かせろ!」

なんて思いつつも、いい歌だなぁと聞いていた、

 

しかし5年が流れ25周年で改めてこの曲を聞くと、前回とは全く異なる印象を受ける。

 

それは、僕にとっては「キャリアの終わり」をイメージさせるものだったからだ。

 

「10周年のときはインタビューとかで『10周年をむかえてどうですか?』って聞かれても『それは事務所とかレコード会社が盛り上げてるだけですから』みたいなこと言ってて、本当にそう思っていて、今僕たちの音楽を聴いてくれている人もいつかは離れていくんだって思ってた。でも25年経っても、これだけの人が聴いてくれている」

 

眼前に訪れた多くのファンへ感謝を告げながら、櫻井さんはそう告げた。涙をこらえているようにも見えた。

 

ここからはあくまで想像の域をでないが、櫻井さん自身、Mr.Childrenというバンドの終わりを意識し始めたのではないだろうか。

 

25年。それは1バンドとしては長く深く積もったキャリアだ。ベストアルバム4枚でも語りきれない歴史がある。

 

だがもう櫻井さんも47歳になる。

 

サラリーマンなら管理職だ。

キャリア晩年の50代をどう過ごそうか考え始める時期になる。

 

きっとそこには、あと何年このバンドを続けられるのかという苦悩や恐怖があるのではないだろうか。

 

一方で一過性の人気に終わることなく、「ここまで慕ってくれてきたファンやリスナーのために音楽を届けたい」という純粋な喜びも存在するはずだ。

 

そうした感情が、近年の積極的なライブ活動に結びついているのではないだろうか。

 

「いつか来る最後の瞬間まで、応援してくれる人のために音楽を届けたい」

 

そんなメッセージが、薄っすらと東京ドームの中に広がっていった気がした。

 

 

キャリアは生まれた時から死んでいく

では果たして僕は、最後の仕事が終わり、キャリアを終える時、何を思えるだろうか。

 

もちろんまだ働き始めて4ヶ月だ。いやOJTである以上まだ働いているとさえ言えないかもしれない。

 

だけど僕だっていつか、サラリーマンを辞める日は来る。

 

ミスチル風に言えば、キャリアは「生まれた日から死んでく」のだ。もうそれからは逃れようがない。だけどその時に向かって、僕は日々の仕事に全力に取り組めているだろうか。

 

もちろん手を抜きサボることは悪ではない。要領の良さは個人的には大事だと思う。

 

しかしこの曲で僕はMr.Childrenから、こう問いかけられたように感じた。

 

「俺は25年目でこう思えたぜ。君はどうだろうな」

 

彼らは今日も歌う。今日も奏でる。

1回1回の残されたライブに全力を尽くす。

 

あぁ、なんだか背中を押された気分だ。

 

ももうちょっと。もうちょっと頑張ってみるかなぁ。

 

25年後のことなんて何もわからない。だけど25年後、彼らと同じ景色が見たい。

 

そんなことを考えているうちに、今日だって日は昇る。仕事が始まる。

 

サンキュー、ミスチル

『理系に学ぶ。』 川村元気:理系のトップランナーの思考法

昨年は川村元気さんの名前を聞くことが多かったです。

 

川村さんは、『君の名は。』『怒り』『何者』と、多くのヒット原作のプロデューサーを務める人ですが、これだけ売れる映画を狙って作る人ってどんな人なんだろうと思い、著書『理系に学ぶ。』を読んでみました。

 

理系に学ぶ。

理系に学ぶ。

 

 

要約すると、

 

小さな頃から理系コンプレックスを持つ川村さん。

 

映画プロデューサーという世界に逃げ込んだことで、そうしたコンプレックスから逃れられたと思っていたけれど、スティーブ・ジョブズマーク・ザッカーバーグを見ていると世界を変える仕事は理系のものだと改めて思わされました。

 

そこで養老孟司さんや、宮本茂さんなど名だたる理系のトップランナーたちと2年に及ぶ対談を行い、理系と文系の違いと、文系の役目を探ります。

 

最終的に川村さんは、理系と文系は目指す所は同じであり、別々の目的で行きているんじゃない。

 

・人が何を美しいと思うのか

・人はどうすれば幸せになれるのか

 

を探しながら理系はサイエンスやエンジニアリングから、文系はストーリーやアートを追求しているんだという結論に至ります。

 

感想としては、ドワンゴの川上さんの一説が印象的でした。

 

今は短い時間で答えを出すゲームばかりが流行っていますが、昔の智将と呼ばれる人たちは結構優柔不断で、長いことあれこれ考えてから答えを出している。(中略)確固たる答えが出せないのに何か手を打てっていうのは、おかしいですよね。

 

 

僕はあんまり辛抱強い人じゃなくて、過去のデータ分析とか事例研究とか嫌いです。でも将来働いていく上で合理的に考えて成果を出そうとするならば、遅かれ早かれ向き合わないといけないんだろうなー。

 

「即断即決」って響きは良いけど、ある程度の熟考レベルを満たしてないと意味ないですよね。

 

こうしたスキルって本来文系とか理系とか関係ないはずだけど、大学で身につける機会を作ってこなかったことが悔やまれます。なにかしら勝負で結果を求める人ならば必要なスキルだし、在学中にもう少し耐性付けないとなー。

 

またね!

『武道館』浅井リョウ:目に見えない声の存在

 

武道館

武道館

 

 

先日朝井リョウの『武道館』を読みました。

 

売れはじめのアイドルグループに所属する女子高生の葛藤を描いたお話です。

 

恋愛禁止・スルースキル・炎上など、この数年のアイドル史を踏まえるとリアリティがありました。AKBの峯岸みなみの坊主謝罪も暗に出てきます。

 

この本を読んで思ったことは、朝井リョウさんの作品は「目に見えない声」の存在を思い出させてくれるということです。

 

作中で掲示板で「劣化」「ヤリマン」みたいな誹謗中傷を書きまくるヲタの存在が書かれているんだけど、一方でそこには掲示板には現れずともアイドルを応援している人たちも存在する。

 

確かにまとめサイトとかの影響もあって、アイドルは恋愛だったり発言の揚げ足取りだったりで叩かれる事件が目立つ。

 

でもそもそもアイドルを叩いてる人だって、好きだからこそアイドルが許せなくて叩くって面があって、単に人間は好き・嫌いの2択では表せない。

 

自分自身、友達のここは好きでここは嫌いな所だったりある。嫌いな日もあれば好きな日もある。

 

でも陰口とかネタにされるとかで、目に見えやすいのは「批判」的な誰かの声ばかりだ。その裏にちょっとはあるかもしれない肯定的なメッセージは、ちょっと僕達には届きにくい。

 

何者 (新潮文庫)

何者 (新潮文庫)

 

 

『何者』を読んだ時もそうだ。ツイッターの140字に選んだ言葉がその人を表すのではなく、選ばれなかった言葉のほうがその人を表している、という作者のメッセージが記憶に残っている。

 

その言葉を選ぶまでに削ぎ落とした、言葉や感情の存在を教えてくれる。

 

だからどこからか自分を責める言葉、傷つける言葉が聴こえてきた時は、朝井リョウの物語を思い出してほしい。

 

あなたの不幸を願う人もいれば、幸せを願っている人だっている。

 

確かにデジタル化された世界では、僕たちへの批判や攻撃は昔よりも目に見えやすくなった。だけどその言葉の裏には悪意しかない、わけではないのかもしれない。

 

貴方を応援する言葉は偶然選ばれなかっただけなのかもしれない。

 

どこかで多くのサポーターが声を潜めながら、あなたを応援しているかもしれない。

 

この世界には、目に見えない声がある。そう思えると、生きていくのが少しだけ楽になる。

 

つまり、誰かの言葉で息苦しくなった時は朝井リョウを読もうという話。