『武道館』浅井リョウ:目に見えない声の存在
先日朝井リョウの『武道館』を読みました。
売れはじめのアイドルグループに所属する女子高生の葛藤を描いたお話です。
恋愛禁止・スルースキル・炎上など、この数年のアイドル史を踏まえるとリアリティがありました。AKBの峯岸みなみの坊主謝罪も暗に出てきます。
この本を読んで思ったことは、朝井リョウさんの作品は「目に見えない声」の存在を思い出させてくれるということです。
作中で掲示板で「劣化」「ヤリマン」みたいな誹謗中傷を書きまくるヲタの存在が書かれているんだけど、一方でそこには掲示板には現れずともアイドルを応援している人たちも存在する。
確かにまとめサイトとかの影響もあって、アイドルは恋愛だったり発言の揚げ足取りだったりで叩かれる事件が目立つ。
でもそもそもアイドルを叩いてる人だって、好きだからこそアイドルが許せなくて叩くって面があって、単に人間は好き・嫌いの2択では表せない。
自分自身、友達のここは好きでここは嫌いな所だったりある。嫌いな日もあれば好きな日もある。
でも陰口とかネタにされるとかで、目に見えやすいのは「批判」的な誰かの声ばかりだ。その裏にちょっとはあるかもしれない肯定的なメッセージは、ちょっと僕達には届きにくい。
『何者』を読んだ時もそうだ。ツイッターの140字に選んだ言葉がその人を表すのではなく、選ばれなかった言葉のほうがその人を表している、という作者のメッセージが記憶に残っている。
その言葉を選ぶまでに削ぎ落とした、言葉や感情の存在を教えてくれる。
だからどこからか自分を責める言葉、傷つける言葉が聴こえてきた時は、朝井リョウの物語を思い出してほしい。
あなたの不幸を願う人もいれば、幸せを願っている人だっている。
確かにデジタル化された世界では、僕たちへの批判や攻撃は昔よりも目に見えやすくなった。だけどその言葉の裏には悪意しかない、わけではないのかもしれない。
貴方を応援する言葉は偶然選ばれなかっただけなのかもしれない。
どこかで多くのサポーターが声を潜めながら、あなたを応援しているかもしれない。
この世界には、目に見えない声がある。そう思えると、生きていくのが少しだけ楽になる。
つまり、誰かの言葉で息苦しくなった時は朝井リョウを読もうという話。
3連休の終わりにブログを始めてみよう。
こんにちは。Mizologです。
IT企業でサービス企画をするはずが、ひょっこり広告営業に配属された20代男性です。
3連休も終わりが見えてきて、焦りの余りにブログなんて始めてしまいました。
匿名とは言え、改めて自分の思ったことや考えを整理するって恥ずかしくもありますね、、、
ITや広告、読んだ本や好きなフランクフルトとか、何でも雑多によしなしごとを書いてみようと思います。
三日坊主で終わらぬことを願いながら。